絵・本・ことば・音楽」カテゴリーアーカイブ

que sera sera

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最近よく聴いている Mary Hopkin のCD。

どれが一番好きか決められないくらい、どの曲もとっても素敵なのだけれど、
その中で大好きな曲の一つ、Que sera sera(ケ・セラ・セラ=なるようになる)。


この Que sera sera、もともとはアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『知りすぎていた男』(1956年)でドリス・デイが歌った曲。映画ではとても勇壮な雰囲気で歌われている。
ほかに、雪村いづみさんによる日本語バージョンもある。
ジャズバンドな雰囲気が素敵。

いい曲って、いろいろな人にいろいろにアレンジされて歌われて、それぞれに違った雰囲気なのだれど、そのそれぞれごとに醸し出される色合いというのがあって、いいなーと思う。
時に同じ曲なのに、あれ、違う曲?って思うくらい、ずいぶん雰囲気や印象の違う感じにアレンジされた曲と出会うときもあって、そういうときはどきっとする。
そこに映し出す世界をがらりと変えるという意味では、何も「0」から生み出すのではなくても、「アレンジする」ということは、それだけで十分 「創造的」な作業なんだな、と思う。

 

 

 

あの世からのことづて

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今日は、五山の送り火の日。
毎年、大文字山の「大」の字の送り火を眺めながらお盆の最終日を迎えます。
「大」の字に火が入れられて赤く燃えているのは15分くらいですが、
この真っ赤な火と、そこから立ち上る煙を見つめていると、
この立ち上る煙とともに、精霊たちが帰っていくように思われて、
心静かな気持ちになります。
               *
特にお盆だからと読み始めたわけではないのですが、
最近毎日少しずつ読んでいる本があります。
松谷みよ子さんの『あの世からのことづて』。
死にゆく者や死者と、現世で生きる者との交流のお話が全部で62篇、
収められています。
お話は創作ものではなく、実際に松谷さんが日本各地で聞き取った民話。
『いないいないばあ』などの絵本作家として有名な松谷みよ子さんが
このような民話の調査・研究もされているとは知らず、とても興味深く、
面白く読んでいます。
               *
あの世に住む者と、現世に住むわたしたち。
住むところは違っても、このように何らかの形で接触することがあるとしたら…。
とても不思議で、理性的に考えて理解できる類のものではないですが、
きっとどれだけ科学技術が発達したとしても、
そういう科学的なものの見方や考え方からは漏れ落ちていくような、
「わからなさ」というのはどこかで、いろいろな形で残っていくような気がします。
きっとそういう部分こそが、「人間」の面白いところであり、魅力であると思うから…。
松谷さんのこの本を読んでいると、
日本のあちらこちらにお盆の風習が残っているのも、
こういったことが「実際に」あったかなかったかは別としても、
それぞれの人に、それぞれの形で、そういった経験が「本当に」あるからこそ、
なのかもしれない、と思います。

梅棹忠夫展のこと

ハンドメイド布バッグ屋 ::: shiroi mokuren の庭  :::

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先週のことになってしまったけれど、大阪の万博記念公園内にある国立民族学博物館で開催されていた「梅棹忠夫展」に行ってきた。梅棹忠夫と言えば、生態学者・民族学者(文化人類学者)という研究者としての顔だけでなく、京大カードの生みの親であるということがまず思い浮かぶ。
読書や調査などから得た情報や知識、そしてそれを通してなされた考察などをいかにして整理し、知的創造活動・知的生産活動へと結びつけるか、という探究の結果として生み出された京大カード。学生の頃大学生協にいくと、普通のノートよりはやや厚みがあってしっかりとした、B6版の京大カードとそれ専用のバインダーが並んでいたものだった。
彼の生み出した京大カードは、上に述べたような情報・知識・考察をノートに整理する場合とは違って、後で自由に並べ替えたり、組み合わせたりしながら発想を膨らませたり、考えを深めたり、またその組み合わせから新たな考えの道筋を導きだしたりすることができる、というところに大きな特徴がある。京大カードについては、その著書『知的生産の技術』に詳しいが、これを読んでいると、梅棹忠夫という人は、いかにして自分自身の頭のなかにごちゃごちゃとあることを一つ一つ取り出して可視化するか、そしてそれを整理して一つの流れをつくっていくか、というその方法・技法というものに、とても意識的であったのだと思う。
また、このような知識・情報・考察の整理ということについてだけではなく、仕事机と事務机を分けるということや、原稿用紙について、ペンについて、そして今ではもう問題ではなくなっているが、原稿執筆の道具としてのタイプライターについても細かく書かれていて、知的生産・知的創造活動が目的であるとするならば、一見その目的自体とは直接に大きく関わらないように思われるこれらのことが、いかに知的生産・知的創造活動を規定するものであるか、ということを考えさせられる。どのように」という技法に関わる部分というのは、実際わたしたちが思っている以上にその「内容」と深く結びついている。
このように書いてきて再びここで思うのは、梅棹忠夫展は、「梅棹忠夫」という人の仕事の「中身」を単に展示し紹介するという類のものではなく、その展示の仕方という点においても、梅棹忠夫のあり方の一面をよく映していたということ。博物館や美術館の展示で一般的によくあるように、前から順に一列に展示していくという方法ではなく、どこからでも、どういう順番にでもみられるように、訪れた人の足の向くまま、思いのまま自由にフロアに自分の足跡を描くことができるような、そんな展示の仕方だった。
梅棹忠夫という人の縦横無尽さゆえの「とらえどころのなさ」。
一つの流れや一つのまとまりとして収まりきらないその身振りを、展示の仕方という点からも浮かび上がらせるような、そんな梅棹忠夫展だった。
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調査先での鳥の鳴き声の採譜 面白い♪
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うさぎのスケッチ 
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梅棹忠夫のノート「独創はinspirationである。独創を生かすもころすも、そのinspirationをとらへるか にがすかにある。」などと書かれている。
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高校生の頃のノート どう見ても数学のノートのようだったけれど、その中の1ページにはこんな譜とドイツ語の歌詞も書かれていた…♪

HIDE-AND-SEEK PIECE

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ふと思い出すことば。

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Hide until everybody goes home.
Hide until everybody forgets about you.
Hide until everybody dies.

HIDE-AND-SEEK PIECE (1964 spring) 

(Yoko Ono “grapefruit juice” より)

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(日本語訳)

隠れていなさい、

みんなが家に帰ってしまうまで。

隠れていなさい、

みんながあなたを忘れてしまうまで。

隠れていなさい、

みんなが死んでしまうまで。

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想像の余白

ハンドメイド布バッグ屋 ::: shiroi mokuren の庭  :::-人生の花 ハンドメイド布バッグ屋 ::: shiroi mokuren の庭  :::-人形つかい ハンドメイド布バッグ屋 ::: shiroi mokuren の庭  :::-蛍
私の好きな日本画家のひとりに、上村松園がいます。
昨年末、京都で上村松園展があり、行ってきました。
松園の絵はこれまで画集などで見たことがあるだけで、
生で見たことのあるものは、数点のみ…。
画集で見るだけでも、その圧倒的な空気感に魅了される松園の作品を、これだけまとまった形で見れるなんて!感激でした。
中でも、「虫の音」や「人形つかい」など、 実際には虫の音が聞こえてくるわけでもなく、 また虫が描かれているわけではないのに、 そこに虫がいて鳴いている声が聞こえてくるような作品や、 人形つかいはちょうどふすまに隠れていて見えないのに、 それを見ている女性や子供たちの表情を通して、 ふすまの向こうの人形つかいの様がありありと見えてくるような、 描かれていないのに、でも実際に描く以上にその情景が強く伝わってくるような作品が
いくつかありました。
このような作品につけられたタイトルは、もはや単なる状況説明的なタイトルではなく、 絵と共に作品の一部となっていて、とても生きています。
描かれた人物の表情、眼差し方やちょっとしたしぐさ、姿勢、ふるまい、タイトルなどから、 見ているものに描いていないものまで感じさせる…。
ことばの面白さの一つは、語っていないことまで語ることができる、そういうことばがある、というところにあると感じていますが、絵の魅力の一つは、描いていないものを描かれたものから、 どれだけ想像させたり、感じさせたりできるのか…というところにあるのかもしれません。
(画像:左から順に「人生の花」「人形つかい」「蛍」)