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山辺の道へ

3月27日

とてもよいお天気の日。約1年ぶりに、山辺の道(続き)を歩きにいきました。
(前回の山辺の道のことは、こちら

1日目は、春日大社〜白毫寺〜正暦寺〜円照寺まで(2022年)約12キロ
2日目は、円照寺〜弘仁寺〜白川ダム〜石上神宮〜天理まで(2023年4月)約12キロ
3日目は、天理〜石上神宮〜長岳寺〜柳本まで(約10.3キロ)

今回は、柳本から大神神社を経て、終点の桜井まで、約10キロを歩きました。

出発地点は、柳本駅から東に上がったところにある崇神天皇陵。ここから山裾沿いに、南へ歩きます。

すでに、住んでいる奈良市内からだいぶん南の方なので、西に見える山々がいつもと違い、とても新鮮。右の方にふたつ並んで大きく見えているのが二上山。今回は、ずっとこの二上山を右手(西)に見ながら歩くことになりました。

少し進むと、大和三山。ぽこぽこっと手前に見えている山です。左から、天香山、畝傍山、耳成山。

桧原神社(大神神社の摂社)からの二上山。

久延彦神社、狭井神社を経て、大神神社にお参り。
狭井神社には、三輪山から湧き出る神水をいただける薬井戸があり、そこでお水をいただきました。
からだに沁み渡るおいしさ…
この辺りまでくると、だいぶん疲れが出ていたのですが、あまりの美味しいお水に、足が軽くなり、生き返る心地でした。

そこから金屋の石仏、海柘榴市(つばいち)観音をお参りして、大和川へ。

大和川によって、ここから大阪、海と繋がっていて、かつて、遣隋使の小野妹子が帰国したのも、隋からの使者である裴世清一行を迎えたのもここだったそう。当時、海石榴市は物品の交換や商いをする市が立ち、たいそう賑わう場所だったようです。

(さらにそれ以前の6世紀には、百済の使者がこの地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあって、それをもって日本に仏教が伝来したとされることから、「仏教伝来地」という碑も立っていました。)

最後は桜井駅まで歩き、そこから電車で奈良へ戻りました。

今回で、山辺の道、奈良市内から桜井までを4回に分けて完歩。歩くことで、その土地、その土地の雰囲気を肌で感じられ、とても心地よく、とても楽しいちいさな旅でした。

またいつか、近いうちに、三輪山登拝したいと思います。

 

 

 

四国へ その3

2月9日

朝、今治駅で自転車を借りて、今治港から自転車とともに船に乗ります。

船から見える今治の街と、四国の山々。

高く聳える山は、石鎚山。雪をかぶっておりました。
前日、移動の途中にも見えたのですが、そのただならぬ存在感に圧倒され、思わず、駅から乗ったタクシーの運転手さんに山の名を尋ねたのでした。
四国にこんなに高い山があったとは…。

帰宅後に調べてみると、なんと西日本最高峰。
古くから山岳信仰(修験道)の山として知られ、霊峰石鎚山とも呼ばれているそうです。

遠くに見える白い長い橋は、来島海峡大橋。帰りは、あの橋を渡って自転車で今治に戻ります。

これから向かう大島。

大島の友浦港。

ここから、自転車で、村上海賊ミュージアムを目指します。

ミュージアムからは、能島村上氏が居城としていた海城のあった能島がよく見えました。(橋の手前に見えている小さな島が能島。)

ミュージアムをゆっくりみて、お昼に鯛めしをいただきました。

ミュージアムは大島の北の方。ここから、大島を縦断して今治を目指します。

港や街を通り、山を登ったり、くだったりを数回繰り返し、ひたすら自転車をこいで…

ようやく、来島海峡大橋が見えてきました。

ここから来島海峡大橋の入り口まで、登り坂を上がっていきます。

上から、潮の流れがとてもよく見えました。小さな渦を巻いています…

大きな造船所も。

大島の北の方から来島海峡大橋を渡って、今治まで戻ってくるのに、途中、景色をみたり、休憩したりを入れて、だいたい3時間くらいでした。

ちょうど一年前、広島の尾道から、自転車で向島、因島、生口島まで走ったのですが(その時のことについてはこちら)、今回は、愛媛の今治から大島へ。

時間の関係で、伯方島と大三島には行けなかったのですが、またの楽しみに…♪
(港にあった地図を見ていると、広島の呉とも船と海道でつながっているみたい…こういうのをみると、わくわくしますね…!)

橋から今治港を経由して、今治城の前を通り、今治駅に戻りました。

途中で見かけた果物屋さん。

もうあとは帰るだけだったので、「はれひめ」と「はるみ」の小さい方の袋を1袋づつ買いました。

17時今治駅発のバスに乗って、しまなみ海道を通って、福山へ。

バスから見る、夕暮れ時の島々…

目に焼きつけて、しあわせにつつまれて、帰りました。

 

 

 

四国へ その2

2月7日(続き)

高知の山をぐねぐねと抜けて、愛媛に。

父が愛媛生まれで、伊予には今も親戚が住んでいます。
大学生の頃、18切符で四国をまわったことがあり、その時にもお世話になった父の従姉妹のお家を、その時ぶりに訪れました。

愛媛には、ずっと行きたい気持ちがあったので、今回行くことができて、そして大学生の時以来の再会を果たせて、とっても、とってもうれしかった。

帰り際、かぼすをたくさんいただきました。

この日の夜は、道後温泉に宿泊。

夜、ぶらぶらと歩いていたとき、ちょうどタイミングよく動き出した坊ちゃんのカラクリ時計。
暗くてお人形はよく見えなかったけれど、とても幻想的でした。

 

2月8日

朝7時半ごろ、現在工事中の、道後温泉本館のお湯に浸かりに…。
早朝の温泉はとても気持ちよくて、身もこころもぽかぽかになりました。

温泉上がりに遅めの朝食をいただいて、この日は、道後公園の湯築城跡に。

湯築城は、伊予の豪族河野氏が築いたお城。
通盛の代に伊予国守護に任じられ、1334年~1338年築城。
1585年、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、廃城となったそうです。

上に登っていくと…

見晴らしのよい展望台。

遠くに松山城も。

路面電車に乗って、松山にも少しだけ寄りました。

萬翠荘を見た後、秋山兄弟生誕地や、漱石が愛松亭の後に住んだ下宿先、愚陀仏庵跡(病気療養のために松山市に帰省していた子規が転がり込み、52日間、漱石と子規が一緒に暮らした場所)をまわり、夕方、松山を後にして、今治へ向かいます。

今回、松山は駆け足だったので、またゆっくり訪れたいな…と思っています。

 

つづく。

 

 

 

四国へ

先週、2/5から2/9までお休みをいただいて、四国へ行ってきました。

2月5日
明石海峡大橋を渡って、淡路島を通って、香川に。
お昼ご飯に讃岐うどんをいただき、屋島に立ち寄り、弘法大師の生誕地、善通寺にお参りしました。

この日の宿は、高知市内で取っていたので、ここからひたすら南へ。

香川は雨が降っていたこともあり寒かったのですが、幾つも山を越えて、最後のトンネルを抜けて高知に入った時には、その日差しの明るさと暖かさにびっくり…気温14℃。

 

2月6日
朝6時頃起きて、鏡川沿いをお散歩。

歩き始めた頃はまだ暗く、空には月が。

朝焼けがとってもきれいでした。

この日は、五代山にある牧野植物園へ。

蝋梅に、

マンサク。

八重の水仙や、

完全に花開く前のユキワリイチゲ。

バイカオウレン。

植物園になる前は、ここを遍路道が通っていたようで、その道がそのまま残されているところもあり、歩くのが心地よく、のんびり一日でも過ごせそうな植物園でした。

 

2月7日
この日は、高知の山を抜けて、愛媛県へ向かいます。

途中、沈下橋を見に降りたとき、川の主かと思うような、真っ白の魚と出会ったり…

安居渓谷を少し歩いたりしました。

なんというか、高知は広々としていて、開けた雰囲気があって、捉えどころないスケールの大きさと魅力の感じられる土地なのでした。

つづく。

 

 

 

洞川温泉へ

ずっと行きたかった、洞川温泉へ。

標高820mほどで、奈良市内よりも3℃〜5℃ほど低く、まだ暑さの残る日だったので、なんだかほっとするような、気持ちよさでした。

みたらい渓谷へ行き、少し歩いたり…

夕暮れ時に温泉街をお散歩したりしました。
洞川温泉は、大峯信仰の登山基地として栄えてきたので、民宿や土産物屋さん、そして、生薬由来の胃腸薬、陀羅尼助のお店がたくさん。

高野槙を売るお店も。

街の絵の描かれた、すてきな窓もありました。

 

一泊して、翌日は、大峰山の登山口まで行き、大峰山を遥拝。

降りてきて、五代松鍾乳洞へ行きました。
モノレールで上に上がります。

この扉が鍾乳洞への入り口。

中に入るとひんやり。しゃがんで移動したり、上がったり、下がったり。

鍾乳石は、1cm伸びるのに100年。
石筍が伸びるのには、なんと200年かかるのだそうです。

案内してくださった方がとても面白くお話してくださって、楽しいひとときでした。

そして…出口付近で出会ったのは、なんと、睡眠中の小さなコウモリ。
自然にいるコウモリを間近で見たのは初めてだったので、どきどき。

その後、周辺を少し歩き、

名水、ごろごろ水をいただいて、帰途につきました。

帰ってから、いただいてきたごろごろ水でお茶やコーヒーを淹れてみると、想像をはるかに超える、感動の美味しさ…
水でこれだけ変わる。
この水でご飯を炊けば、料理をすれば…

水汲み場では、大きなポリタンクにたくさん水を汲みにきている方がいらしたのですが、うん、うん、そういうことか、と納得。

水によって生かされている、この水がいのちの土台なのだ、と、山のありがたさ、水の豊かさをひしひしと感じる旅でした。