言葉の強度

小学校を卒業する時、卒業文集の「将来の夢」の欄に「童話作家になりたい。」と書いていたほど、
幼い頃から、童話を読むのが好きでした。
小さい頃だけでなく高校生になっても、児童文学作品を好んで読んでいました。
「トムは真夜中の庭で」「思い出のマーニー」「床下の小人たち」シリーズ、「ハヤ号セイ川をいく 」…などなど。
大学に入ってからは、新しく出会う、これまで読んだことのなかった類の本も多く、そちらに傾倒して児童文学の世界からは少し遠ざかっていましたが、やはり好きなものはいくつになっても、好きなもの…。
日本の童話作家の中で好きな人の一人に、小川未明がいます。
昨年読んだ『小川未明童話集』(新潮文庫)には、有名な「赤いろうそくと人魚」を始め、「月夜と眼鏡」「しいの実」「眠い町」「飴チョコの天使」「千代紙の春」「金の輪」「小さい針の音」など全部で25話入っていて、そこに、これまでに読んだどの作家とも少し違う独特の世界、独特の空気を感じました。
言葉を尽くして語られているわけではなく、 どちらかというととてもシンプルで無駄のない言葉で語られているのに、 (いや、むしろそのような言葉で語られているから?) ある一つの情景が、それもある色とある空気を纏った情景が 目の前にくっきりとした輪郭を持ってぱんと広がるような、そんな話がたくさん。
起承転結のある、あるいは一つの明確なストーリーのある物語というよりは、 一つのイメージがただぽんと提示されているようなものや、 出来事の連鎖をたんたんと描いているようなもの、 大きな一つの流れのなかの断片だけを少し垣間見させ、かつその断片から大きな流れを想像させるようなもの…などがあり、とても魅力的です。
未明の作品を読んでいると、そぎ落とし、そぎ落としして最後に残るエッセンスのようなものの持つ力強さを感じます。
言葉が語っていないことまで語ってる、そんな言葉、とでも言えばよいのでしょうか…!
言葉は、単に何かを伝えるための「手段」や「道具」に過ぎないのではなく、それ自体、力を持ったもの、そしてそれ自体が何かを創りだし、動かしていくもの、であるように思います。