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“有馬温泉癒しの森”を歩く

秋分を過ぎたあたりから、ようやく過ごしやすくなってきました。

9月24日

知人に有馬温泉の日帰り入浴券をいただき、有馬温泉へ。
温泉に入る前に、”有馬温泉癒しの森”を歩きました。

六甲山行きのロープウェー有馬温泉駅からさらに奥に、癒しの森の案内看板があり、そこから入りました。

入ってみると、思った以上に本格的な山道で、果てしなく続く急な上り道や、雨が降ったあとは渡れなくなるだろうと思われるような、岩がごろごろとした沢の道もあり、歩きごたえがありました。

展望台からの景色。右の、真ん中の辺りに、有馬富士が見えます。

最後は、瑞宝寺公園に出ました。こちらから歩く方も多いのか、ここにも案内看板が。

途中、六甲山最高峰へ行く道との分かれ道があったので、次に来る機会があれば、最高峰にも行ってみたいな…。

たくさん歩いた後に入る温泉は格別…とても心地よく、楽しい一日でした。
ありがとうございました。

 

 

 

みたらい渓谷を歩く

時間が前後しますが…
9月9日-10日

ちょうど一年前の9月から、だいたい2ヶ月に一度、水を汲みに行っている洞川温泉。(過去の記事はこちら(2023年9月2024年4月))
いつもは日帰りで行くのですが、今回はみたらい渓谷を歩きたいなと思い、一泊で行ってきました。

いったん車で洞川温泉まで行き、宿に駐車。そこからバスに乗って再び山を下り、天川川合まで。
ここから、洞川温泉まで戻るような形で歩きました。

バス停から少し車道を行き、途中からみたらい遊歩道に入ります。

こんなに大きな桂の木を見たり…

こんな道を通ったりして…

1時間ちょっとで、哀伝橋近くの、みたらい休憩所まで来ました。(下に見えている建物が休憩所。)

ここでひと休み。地元の方がいらっしゃって、ごろごろサイダーをいただきました。

 

ここから後半。
哀伝橋を渡って、滝や大きな岩を見ながら急なのぼり道をひたすら上がります。

休憩所から1時間ほどで、観音峰登山口に出ました。

そこから洞川温泉までは、比較的平坦な道。山上川沿いに1時間ほどてくてくと。

 

最後、洞川温泉センターの手前まできたところに、大聖大権現社。

赤い鳥居の奥に、小さな祠。
その横には、大きな大きなトチの木がありました。

トチの木、初めてみました。

木肌の模様がすごい…..老樹になると樹皮が剥がれ落ちて、こんな模様が現れるのだそうです。

トチの実もたくさん落ちていました。

トチの実はでんぷん質が豊富で、天日乾燥させると10年以上保存できることから、飢饉の際の貴重な食糧でもあり、なんと、縄文時代から食用にされていたのだそうです。

花は5-6月に咲くようで、またその頃に来ることがあれば、見にきたいな。
トチの木のハチミツを見かけたので、買って帰りました。

 

旅で出会ったすべてのものに感謝。
ありがとうございました。

 

 

 

山辺の道へ

3月27日

とてもよいお天気の日。約1年ぶりに、山辺の道(続き)を歩きにいきました。
(前回の山辺の道のことは、こちら

1日目は、春日大社〜白毫寺〜正暦寺〜円照寺まで(2022年)約12キロ
2日目は、円照寺〜弘仁寺〜白川ダム〜石上神宮〜天理まで(2023年4月)約12キロ
3日目は、天理〜石上神宮〜長岳寺〜柳本まで(約10.3キロ)

今回は、柳本から大神神社を経て、終点の桜井まで、約10キロを歩きました。

出発地点は、柳本駅から東に上がったところにある崇神天皇陵。ここから山裾沿いに、南へ歩きます。

すでに、住んでいる奈良市内からだいぶん南の方なので、西に見える山々がいつもと違い、とても新鮮。右の方にふたつ並んで大きく見えているのが二上山。今回は、ずっとこの二上山を右手(西)に見ながら歩くことになりました。

少し進むと、大和三山。ぽこぽこっと手前に見えている山です。左から、天香山、畝傍山、耳成山。

桧原神社(大神神社の摂社)からの二上山。

久延彦神社、狭井神社を経て、大神神社にお参り。
狭井神社には、三輪山から湧き出る神水をいただける薬井戸があり、そこでお水をいただきました。
からだに沁み渡るおいしさ…
この辺りまでくると、だいぶん疲れが出ていたのですが、あまりの美味しいお水に、足が軽くなり、生き返る心地でした。

そこから金屋の石仏、海柘榴市(つばいち)観音をお参りして、大和川へ。

大和川によって、ここから大阪、海と繋がっていて、かつて、遣隋使の小野妹子が帰国したのも、隋からの使者である裴世清一行を迎えたのもここだったそう。当時、海石榴市は物品の交換や商いをする市が立ち、たいそう賑わう場所だったようです。

(さらにそれ以前の6世紀には、百済の使者がこの地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあって、それをもって日本に仏教が伝来したとされることから、「仏教伝来地」という碑も立っていました。)

最後は桜井駅まで歩き、そこから電車で奈良へ戻りました。

今回で、山辺の道、奈良市内から桜井までを4回に分けて完歩。歩くことで、その土地、その土地の雰囲気を肌で感じられ、とても心地よく、とても楽しいちいさな旅でした。

またいつか、近いうちに、三輪山登拝したいと思います。

 

 

 

四国へ その3

2月9日

朝、今治駅で自転車を借りて、今治港から自転車とともに船に乗ります。

船から見える今治の街と、四国の山々。

高く聳える山は、石鎚山。雪をかぶっておりました。
前日、移動の途中にも見えたのですが、そのただならぬ存在感に圧倒され、思わず、駅から乗ったタクシーの運転手さんに山の名を尋ねたのでした。
四国にこんなに高い山があったとは…。

帰宅後に調べてみると、なんと西日本最高峰。
古くから山岳信仰(修験道)の山として知られ、霊峰石鎚山とも呼ばれているそうです。

遠くに見える白い長い橋は、来島海峡大橋。帰りは、あの橋を渡って自転車で今治に戻ります。

これから向かう大島。

大島の友浦港。

ここから、自転車で、村上海賊ミュージアムを目指します。

ミュージアムからは、能島村上氏が居城としていた海城のあった能島がよく見えました。(橋の手前に見えている小さな島が能島。)

ミュージアムをゆっくりみて、お昼に鯛めしをいただきました。

ミュージアムは大島の北の方。ここから、大島を縦断して今治を目指します。

港や街を通り、山を登ったり、くだったりを数回繰り返し、ひたすら自転車をこいで…

ようやく、来島海峡大橋が見えてきました。

ここから来島海峡大橋の入り口まで、登り坂を上がっていきます。

上から、潮の流れがとてもよく見えました。小さな渦を巻いています…

大きな造船所も。

大島の北の方から来島海峡大橋を渡って、今治まで戻ってくるのに、途中、景色をみたり、休憩したりを入れて、だいたい3時間くらいでした。

ちょうど一年前、広島の尾道から、自転車で向島、因島、生口島まで走ったのですが(その時のことについてはこちら)、今回は、愛媛の今治から大島へ。

時間の関係で、伯方島と大三島には行けなかったのですが、またの楽しみに…♪
(港にあった地図を見ていると、広島の呉とも船と海道でつながっているみたい…こういうのをみると、わくわくしますね…!)

橋から今治港を経由して、今治城の前を通り、今治駅に戻りました。

途中で見かけた果物屋さん。

もうあとは帰るだけだったので、「はれひめ」と「はるみ」の小さい方の袋を1袋づつ買いました。

17時今治駅発のバスに乗って、しまなみ海道を通って、福山へ。

バスから見る、夕暮れ時の島々…

目に焼きつけて、しあわせにつつまれて、帰りました。

 

 

 

四国へ その2

2月7日(続き)

高知の山をぐねぐねと抜けて、愛媛に。

父が愛媛生まれで、伊予には今も親戚が住んでいます。
大学生の頃、18切符で四国をまわったことがあり、その時にもお世話になった父の従姉妹のお家を、その時ぶりに訪れました。

愛媛には、ずっと行きたい気持ちがあったので、今回行くことができて、そして大学生の時以来の再会を果たせて、とっても、とってもうれしかった。

帰り際、かぼすをたくさんいただきました。

この日の夜は、道後温泉に宿泊。

夜、ぶらぶらと歩いていたとき、ちょうどタイミングよく動き出した坊ちゃんのカラクリ時計。
暗くてお人形はよく見えなかったけれど、とても幻想的でした。

 

2月8日

朝7時半ごろ、現在工事中の、道後温泉本館のお湯に浸かりに…。
早朝の温泉はとても気持ちよくて、身もこころもぽかぽかになりました。

温泉上がりに遅めの朝食をいただいて、この日は、道後公園の湯築城跡に。

湯築城は、伊予の豪族河野氏が築いたお城。
通盛の代に伊予国守護に任じられ、1334年~1338年築城。
1585年、豊臣秀吉の四国征伐で小早川隆景に降り、廃城となったそうです。

上に登っていくと…

見晴らしのよい展望台。

遠くに松山城も。

路面電車に乗って、松山にも少しだけ寄りました。

萬翠荘を見た後、秋山兄弟生誕地や、漱石が愛松亭の後に住んだ下宿先、愚陀仏庵跡(病気療養のために松山市に帰省していた子規が転がり込み、52日間、漱石と子規が一緒に暮らした場所)をまわり、夕方、松山を後にして、今治へ向かいます。

今回、松山は駆け足だったので、またゆっくり訪れたいな…と思っています。

 

つづく。