梅棹忠夫展のこと

ハンドメイド布バッグ屋 ::: shiroi mokuren の庭  :::

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先週のことになってしまったけれど、大阪の万博記念公園内にある国立民族学博物館で開催されていた「梅棹忠夫展」に行ってきた。梅棹忠夫と言えば、生態学者・民族学者(文化人類学者)という研究者としての顔だけでなく、京大カードの生みの親であるということがまず思い浮かぶ。
読書や調査などから得た情報や知識、そしてそれを通してなされた考察などをいかにして整理し、知的創造活動・知的生産活動へと結びつけるか、という探究の結果として生み出された京大カード。学生の頃大学生協にいくと、普通のノートよりはやや厚みがあってしっかりとした、B6版の京大カードとそれ専用のバインダーが並んでいたものだった。
彼の生み出した京大カードは、上に述べたような情報・知識・考察をノートに整理する場合とは違って、後で自由に並べ替えたり、組み合わせたりしながら発想を膨らませたり、考えを深めたり、またその組み合わせから新たな考えの道筋を導きだしたりすることができる、というところに大きな特徴がある。京大カードについては、その著書『知的生産の技術』に詳しいが、これを読んでいると、梅棹忠夫という人は、いかにして自分自身の頭のなかにごちゃごちゃとあることを一つ一つ取り出して可視化するか、そしてそれを整理して一つの流れをつくっていくか、というその方法・技法というものに、とても意識的であったのだと思う。
また、このような知識・情報・考察の整理ということについてだけではなく、仕事机と事務机を分けるということや、原稿用紙について、ペンについて、そして今ではもう問題ではなくなっているが、原稿執筆の道具としてのタイプライターについても細かく書かれていて、知的生産・知的創造活動が目的であるとするならば、一見その目的自体とは直接に大きく関わらないように思われるこれらのことが、いかに知的生産・知的創造活動を規定するものであるか、ということを考えさせられる。どのように」という技法に関わる部分というのは、実際わたしたちが思っている以上にその「内容」と深く結びついている。
このように書いてきて再びここで思うのは、梅棹忠夫展は、「梅棹忠夫」という人の仕事の「中身」を単に展示し紹介するという類のものではなく、その展示の仕方という点においても、梅棹忠夫のあり方の一面をよく映していたということ。博物館や美術館の展示で一般的によくあるように、前から順に一列に展示していくという方法ではなく、どこからでも、どういう順番にでもみられるように、訪れた人の足の向くまま、思いのまま自由にフロアに自分の足跡を描くことができるような、そんな展示の仕方だった。
梅棹忠夫という人の縦横無尽さゆえの「とらえどころのなさ」。
一つの流れや一つのまとまりとして収まりきらないその身振りを、展示の仕方という点からも浮かび上がらせるような、そんな梅棹忠夫展だった。
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調査先での鳥の鳴き声の採譜 面白い♪
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うさぎのスケッチ 
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梅棹忠夫のノート「独創はinspirationである。独創を生かすもころすも、そのinspirationをとらへるか にがすかにある。」などと書かれている。
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高校生の頃のノート どう見ても数学のノートのようだったけれど、その中の1ページにはこんな譜とドイツ語の歌詞も書かれていた…♪