この秋に制作した、アンとダイアナのペアドールです。





アンのワンピースは深い緑色に植物柄のデザイン。胸には小さなウッドボタンがふたつ。

アンティーク素材をリメイクして、エプロンにしてみました。




ダイアナには、七色に光るボタンを。

ふんわりとしたパフスリーブ。

エプロンには花柄生地のパッチとリボンのアクセント。



ふたりの雰囲気に合うような素材を選んで作るのが楽しいひとときでした…

* サイズ(M)
頭から足まで 約42cm
この秋に制作した、アンとダイアナのペアドールです。





アンのワンピースは深い緑色に植物柄のデザイン。胸には小さなウッドボタンがふたつ。

アンティーク素材をリメイクして、エプロンにしてみました。




ダイアナには、七色に光るボタンを。

ふんわりとしたパフスリーブ。

エプロンには花柄生地のパッチとリボンのアクセント。



ふたりの雰囲気に合うような素材を選んで作るのが楽しいひとときでした…

* サイズ(M)
頭から足まで 約42cm
11月3日
普段は入ることのできない正倉院の敷地内に、3日間限定で入れると聞いて、東大寺へ。


秋の日差しの中、気持ちよさそうな鹿たち。
少しずつ紅葉も始まっていました。



いよいよ、正倉院の敷地の中へ。






こんなに間近に見られるなんて…
校倉造りの、木が組まれている様子や、全体の大きさが、体感的によくわかりました。
見ている途中に雨が降ったりもしたけれど、出てくると雨上がりの日差し。

上の写真の左の木は、おかっぱ桜と呼ばれています。
鹿が食べるために、自然におかっぱ型にカットされたようになっている桜。
よく見ると、その辺り一帯の木の下のラインが、鹿の食べられる高さに全部そろっていました。

昼間は暑くも寒くもなく、外にいるのが気持ちのよい季節。
この時期ならではの、澄み渡る感じを味わっています。


庭の金木犀も。

平城宮跡の金木犀も。

みんな一斉に香っています。
*
こちらは、オーダーをいただいて作ったお人形。
過去の作品をご覧くださり、それと似た雰囲気で、とご依頼いただきました。
前回は、ピンク〜パープル系のお色でまとめていたのですが、今回は、ブルーの小花柄のワンピースに、カットワークレースのエプロンを身につけた女の子。
ワンピースのお袖やスカート、それにエプロンにも、ギャザーをたっぷり入れて、ふんわり、やわらかな雰囲気に仕上げました。


三つ編みを、サイドでアップにしたヘアスタイル。








—
●サイズ(L)
頭の先から足までで 約46cm
座らせると 約20cm
—
現在、冬のお人形も制作中です。
でき上がりましたら、またご紹介しますね。
いつも見てくださって、ありがとうございます。
庭の金木犀のつぼみが大きくなり、色づいてきました。

咲くのが待ち遠しい…です。
秋明菊も、白の一重と、ピンクの八重が咲きました。


どちらも母の庭から分けてもらったもの。
ピンクの八重のは、植えてから初めて咲いたので、見ることができてとてもうれしい…。
秋明菊が咲くと、秋を感じます。
*
さて…今年に入ってから少しずつ作っていた大きなキルト。
実用的なキルトを一度作ってみたくて、膝掛けを。
1mを少し超える大きさ。
すべて手縫いで仕上げました。



中に少し厚めのキルト綿を挟んだので暖かいです。
本格的に寒くなる前に完成させることができて、ほっ。
冬の間、使おうと思います。

平城宮跡はオギの穂が出て、すっかり秋の風景に。
今年は10月になっても日中の気温の高い日が多いからか、金木犀はまだ咲いていないようです。
*
庭にも秋の花。
ホトトギス

ワレモコウ

フジバカマ


秋の花に混じって、本来は夏に咲くはずのホテイアオイも10月になって初めて咲きました。

*
今月に入ってからは、せっせと種まきも。
お花は、ゼニアオイ(コモンマロウ)、ペインテッドセージ、矢車菊、カモミール。
ペインテッドセージと矢車菊は、自家採取した種を蒔きました。
こぼれ種からも芽を出してくれるかもしれないのですが、発芽しない場合に備えて、念のためポットにも種蒔きします。
矢車菊の種

野菜は、青梗菜、ブロッコリー、サニーレタス、九条太ネギ、のらぼうな、えんどう。
青梗菜とブロッコリーは初めて。
ネギ、のらぼうな、えんどうは、今年自家採取した種を蒔きました。
雨の日が多くって、さっそく発芽しています。
カモミール

青梗菜

発芽した時は、他の何にも代えがたい喜びが、いつもあります。
最近読んだ本に、次世代を作る働きは死が前提となっている、という言葉があり、その言葉がすとん、と腑に落ちるとともに、人間に限らず、庭で目にしている営みはまさにこのこと…、と強く感じました。
花咲かせ、種を残すことにすべてのエネルギーを使い、それを使い果たして、自らは枯れていく。庭で目にしているのはまさにそういうありようで、ただただそういう姿を見せてもらっているというだけで、ほんとうにありがたい気持ちになるのです。