今日、2月8日は「針供養」の日。
永年休まずに使ってきた針をその日に限って休ませ、
折れた古針を供養する行事で、
女性に縁の深い淡島神社で行われるのだそうです。
地域によって、2月8日に行うところと、12月8日に行うところ、
その両日に行うところがあるようです。
普段は硬いものばかり刺している、というので、
古針を、豆腐や蒟蒻、餅などやわらかいものに刺して、
神社で供養したり、川へ流したりするのだとか…。
かつて、和歌山は加太の淡嶋神社を訪れた際、
針供養の後に針が納められる
「針塚」があったことを思い出します。
毎日使う針を休め、供養する日。
その針供養の日が、2月8日、12月8日であるのは、
2月8日を事始め、12月8日を事納めとして、
それぞれ、農耕を始め、終わる日であった
ということと関連するようですが、
このように、いわば一年の「節目」にあたる日に、
日常の針仕事の手をとめて、
針を休ませる行事が営まれてきたということから、
女性にとって針仕事がいかに身近なものであったか、
そして針は、単なる「モノ」ではなく、
日常的に使う大切な仕事道具であったということがうかがえます。
毎日使っているものほど、「ありがたみ」が見えにくくなるものですが、
こういう日のあることで、日常的な連鎖をいったん断ち切って
改めて道具たちと向き合うことができるのでしょうね。
だんだんハレとケの区別が曖昧になってきている現代ですが、
こういったハレの日があるからこそ、ケが成り立っていて、
それと同時に、ケがあるからこそ、ハレがある、
というこの切っても切れない関係を思わずにはいられません。